- おや爺の手記…もやしの栽培について。「本場」について考えたこと -

札幌市の「豆蔵」の社長の話から、納豆菌は42度以上35度以下では増えないことを知った。
39度〜40度が適正らしい。冷蔵庫内では一月は持つらしい。

なぜこんなことに興味を持つかというと、
納豆菌を使う朝鮮の味噌チョングックチャンの当店の製造過程ではもっと高温になるからだ。

この朝鮮の味噌と日本の納豆の味は全然違う。
日本の焼肉店でチゲを作るときには、納豆で代用することが多い。
最近では韓国から輸入してきたチョングックチャンを大都市の店ではを使っている。
いわゆる韓国からのニューカマーーこの言葉嫌いだけれど、
と言われている人たちの韓国料理の店が増えているからだ。

その二つの方向ではなく地元の豆を使ったここでしか味わえないものを私は作りたい。
”本場”の韓国料理は”本場”で食べればいいことだ。
料理を食べると言う行為は環境を含むはずだから、
異国で食べるものに<本場>などあるはずもない。

<本場>と言う言葉に違和感を持つようになったのはいつ頃だろう。
これを英語で言うことは出来ないと思う。
authentic, real,genuineがあるじゃないかと言う人がいるだろうが、それは違う。
それらの言葉には場所の概念が入ってないからだ。しいて言うとしたら、
本場のお茶・tea from one of the famous tea growing distinctsみたいな説明文にするしかない。

私が食べてきたオモニの料理と、現在の韓国料理がずいぶん違うことに驚いた。
チヂムなど現在主流の作り方は油であげていると言っていいものだが、
本来の朝鮮料理には揚げ物は数えるほどしかなかったはずだ。

韓国の留学生の友人は、日本料理は甘いと言うのだが、現在の韓国料理も相当甘い。
ただ唐辛子や他の調味料もわんさか入っているし、慣れ親しんだ味なので気づきにくいだけだ。
そのときだと思う、料理だって時・空的存在と言う当たり前のことに気づいたのは。

今現在の<本場の味>のある部分は、
少なくても50年前の韓国人には<本場の味>とは思えないに違いない。

<本場>という言葉は時間軸がないか、忘れさせるものだ思う。
考えてみると、建築や現代物理・現代美術だって、
時間と空間の両方を抜きにして語れないではないか。
<本場>ではなく、<その場>・<その時>を
時間と空間の軸の中でそれぞれ独自に表現するしかない。
その中でしか<本場>の意味は出てこないはずだ。
現在の”本場の”韓国料理や在日の料理をけなしたり、
自慢したりするのは簡単だし私もよくするのだが、
そんな行為は、先の見える虚しいものだとよくわかっているはずなのだ。

どんなにショボク、
矮小に見えようと自分のいるところから実際に立ち上げることがほんとうは難しいことだ。

話は戻って、豆蔵の社長の話。
大豆もやしが腐るのは大豆の中の油が腐ること。
もやし栽培の条件は17〜18度で、湿度45〜65%が一番よいこと。
一番もやしにいい品種とは、など本当に色々教えていただいた。

戻る